のを今でも覚えています。友達のお父さんも一緒になっていくつもの列車を走らせて遊びました。 自分もプラレールを持っていましたが部屋いっぱいに敷き詰めるほどはなかったし、その量と規模に圧倒された のを覚えています。 自分は物心付いた時から車よりも飛行機よりも船よりも線路を転がる乗り物が好きだった気がします。 またある日別の友達の家に行った時に、ものすごく精巧に出来たプラレール車両っぽいものを発見したのです。 そしてこの「プラレールすごい精密だねえ」といったかどうかは定かではありません。(言う訳ありません) それが鉄道模型との出会いであり始めて目にしたHOゲージの車両だったのです。 ものすごく高価そうな決して手の届かない「大人の娯楽」そういう感覚を覚えた気がします。 たぶんその頃からでしょう「鉄道模型趣味」を読むようになったのは。 古いことなのでこれまた定かではないですが、中学になって新聞配達のアルバイトして小遣い貯めて初めて 手にしたのがNゲージのEF65だと思います。それはボロボロだけど今でもチャンと走ります。 そして「レイアウト全書」「レイアウトテクニック」を読んで空想モデラーの仲間入りです。 中学2年か3年の夏休みに田舎駅のセクションを作り学校へ持って行ったっけ?! いかにも国鉄の田舎駅っぽいのに何故か車両は自作の名鉄電車でした・・・。 ペーパー製の電車とペーパー製のストラクチャー、あの頃は何でも紙で作っていました。 気力と時間だけは無限にあったのでしょうか?子供の頃は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 この頃にギターに興味が移り模型とはしばらくおさらばしていました。 高校に上がり「歌う会」という部に入ったものの周りはヘビメタばかりで居心地が悪くて、3日目に部室が隣の 「鉄道模型同好会」に移籍したのでした。 フォークギターで歌うことも好きだけれども、同じくらいに鉄道模型も好きな少年でした。 文化祭ではモジュール運転をしようと、各部員に一人ひとつ以上作る目標を掲げて準備するも、半分以上が未完成で 迎えた本番。ベニヤ平原を走る列車たちではあったけど一般見物の人たちは大喜びだったようです。 高校卒業し社会人となり、模型もギターも触る時間がどんどん減っていき熱も冷めてしまいました。 ず〜っと時が流れて家族が増えて、私の息子がガンプラに懲りはじめました。 「改造だ」ってんで切った貼った、パテ埋め、ヤスリがけ、塗装etcなんてのを見ているとなんだか知らんけど血が騒ぐ!! 「父さんは子供の頃、鉄道模型が好きでさあ・・・」 「じゃ、やればあ」 「そうだな、そうしよう」 その翌日よりレイアウトプランを練り始めました。2003年のことです。 その後、残念ながらこのレイアウトは完成することなく解体という道をあゆみます。 そして2006年。ややあってまたレイアウトが作りたくなってきました。 心のエンジンがかかった感じです。 子供の頃は、好きなことに打ち込む時間があってもお金が無い。 大人になって社会に出てしばらくは、好きなことに打ち込む時間を作るのが上手く出来ない。 でも40歳も過ぎますと子育てのピークが過ぎて、趣味に当てる時間もお金も融通が利くようになってくるんですね。 熱血仕事人となって仕事に明け暮れて生涯を終えてしまうなんてつまらないと思うんです。 せっかく趣味といえるものがあるんだし「いまやらなくて、いつやるんだ」と思うのです。 私とおんなじ年代の人ってみんな同じ心境なのかなあ?がんばれ40代!!
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